ライトノベル・レビュー
カオスレギオン 聖戦魔軍篇
カオスレギオン 02 魔天行進篇
カオスレギオン 04 天路哀憧篇
カオスレギオン 05 聖魔飛翔篇(冲方丁 イラスト:結賀さとる) |
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厚い、これがこの本を最初に手にした時誰しも思う感想ではないだろうか。投げつけられてもケガもしないように薄いラノベが多い中で、本書は約400P。やろうと思えば殴って人を殺せそうな重さである。
しかも、密度が濃い。頁の半分くらいしか文章に使ってないラノベが多い中で、本書はかなり字だらけである。頁における所要時間は普通のラノベの倍はかかると思ってよい。
このようにライトノベルのライトを「軽い」という意味に取るならそれに該当しない分量と密度を誇る本書だが、その文章量に負けない濃度の面白い小説である。
この物語は2人の男を中心としています。一人は主人公で、常にシャベルを持ち歩いて戦場で死者を弔い、死者の無念を化け物に変えて召還するレギオンの能力を持つジーク=ヴァールハイト。もう一人は、愛する母国を、忠誠を尽くしてた聖王庁を、そして信頼していたジークすら裏切って、自分の信念(かつてはジークのそれと同じだった)を貫かんとする、背信者ヴィクトール=ドラクロワ。
彼ら二人の戦いの最中に、彼らの過去・信念・葛藤といったものを織り込みながら話は進んでいきます(余談ですが、彼らの関係はベルセルクのガッツとグリフィスに近いといえば読んだことある人には分かりやすいかと)
登場人物は、他にも万里眼を持つジークの従者ノヴィアとその友人の要請アリスハート、更には後から一行に加わる銀銃(ヘイリン)の使い手アーシアにジークとドラクロワが愛した女性シーラと綺麗どころも多いんですが、やはりメインはジークとドラクロワ。その2人の戦いと友情と葛藤が圧倒的に精密な筆致で、有無を言わせぬ量で、でも複雑な経緯を持つにもかかわらず2人をメインとすることで分かりやすく描かれていく様は見事としか言いようがありません。
ところで、作中で「闘いのみが2人に残された唯一の絆」というセリフが出てくるんですが、なんだか逆シャアのアムロとシャアを彷彿とさせます。
余談ですが、私は「高い理想を掲げるキャラ」ってのは苦手だったりします。どうしても偽善者っぽいとか、理想を掲げてる自分は偉いみたいな高みに立ってる感じがして。
でも、この主人公ジークには共感できました。思うに、口先だけの偽善者っぽいところがなく、理想のために自らの血を流してること、又、常に相手を自分と対等に考え(たとえそれが死者や化け物でも)、時には意見することなどでしょう。
ヒーロー像としてはありがちとも言えるジークですが、魅力的に見えるのはやはり冲方先生の筆力なんでしょうね。
(はろmk−II)
(02 魔天行進篇の感想)
読み出すと面白いけど読み始めるまでに気合がいる厚さを誇るカオスレギオンシリーズ。本編のプロローグ(の割にはかなり厚いけどw)とでも言うべき0シリーズの第2巻。
素晴らしい作品である。故郷を失った2万人の人たちが新天地へ辿り着くまでの道のりを描いているのだが、単なる逃避行ではなく未来への行進とでも言うべき希望溢れる内容になっているのが良い。
また、登場人物の一人一人に己が役割があり、それを全身全霊で成し遂げようとする姿に感動する。ジークの深謀遠慮はやや出来すぎな感じもあるが、我が身を削ってでも2万人の人を守ろうとする姿は壮絶ながら強い意志を感じさせる。ノヴィアがラストで橋を「見る」ところ、特に橋が大きくなるところに心が震えない人など居まい。領主親子のお互いスタンスの違いこそあれ、領主として立派に振舞うのは見てて気持ちが良いし、騎士団長のカヤはツンデレで萌え・・・ではなく(笑)、そのひたむきで真っ直ぐな姿勢に自らの襟を正さずにはいられないし、ラストの増援を連れて駆けつけてくるところはお約束ながら燃える。神父の口の悪さにはんする郷土への想いは胸を打つし、その他1万9千9百余人の町の人の団結力は憧れを禁じえない。
一方で敵役にも無駄な人物はいない。01から登場して今回一転して悪役になった(?)レオニスだが、人の生き死にを感じてなかった01とは違い心に苦悩を重ねながら悪事を働く彼の姿は痛ましい(彼の本心が仄見える故に)。トールは相変わらずだが。ノヴィアやアリスハートに優しく接する様は心が和む。今回最大の悪役のサガにしても、やることこそ確かに酷いが、その根底にあるのは悲しい誤解に基づいた復讐である、憎しみを持ちきれない哀しさがある。
この様に数多くのキャラがそれぞれの役割を精一杯演じるカオスレギオン02.その厚さに尻込みしがちだ読んでいく内に気にならなくなる。2万有余人の魂の交響曲を感じる為にもラノベが好きなら是非一読をオススメする
んで、ココからが本編とは関係ない話。
この本もしかすると日本人には共感できるが、外国人(特にアメリカあたり)では理解できない部分があるかも。それは「2万人もの人が一致団結して行進するシーン全般」
外国では、大きな災害があると必ずと言っていい程暴動がおきるし、暴動には至らないまでも治安の悪化等統制が取れなくなることが多く、この小説のようにはいかない。
しかし、日本は今回の新潟や阪神の地震を見ても分かるように、非常時にはかなり統制の取れた集団行動を行う。
これは日本人の困難な局面に対する団結力の強さという美点(明治政府樹立時や戦後に見られた)であり、反面「耐えていればお上が何とかしてくれる」という農民根性(?)というか全体主義に流れやすい欠点でもあると思います。逆に言えば、外国の暴動は、お上が何とかしてくれるとは限らないから(方法はどうあれ)自力で生き抜くという個人の強さを表している側面ともいえるでしょう。アリとカブトムシの強さというか、個と種族としての強さというか。
あ、上の項読んでどう思うかは各人にお任せしますが、一つだけ言っておくと私はこの本を違和感無く読める日本人に生まれたことを感謝してます。
(はろmk−II)
(カオス レギオン 04 天路哀憧篇の感想)
『この作品は月刊ドラゴンマガジン2003年12月号〜2004年5月号までの連載分を大幅に加筆修正しております』(巻末より抜粋)
月刊ドラゴンマガジン誌上で連載していた天路哀憧篇をまとめた一冊。
連載分「だけ」まとめたなら多分250ページ以内におさまってたと思う。
でも何故「連載分:書き下ろし」が「1:1」(230:230)くらいになりますか?
連載分はキリとノヴィアのふれあい、そして「狩人」アキレスの追撃を軸に進みましたが、本作はさらに連載時には登場しなかったレオニス、トール、ドラクロワ、挙句の果てに「あの女性」まで登場させて物語をさらに濃いものにしています。
ぶっちゃけ短編集としてじゃなくて長編新刊として出せばよかったじゃん、と思いました。
つか巻末の『大幅に』加筆修正ってコメントを見た時はギャグかと思いました(笑)
とにかく内容が濃くてどこから切り出せばいいのか、というのにも悩んでしまうところですがやっぱり今作のメインはノヴィアとキリの関係でしょうか?
「自由で奔放な」キリと「律儀で真面目な」ノヴィア。
一見「水と油」な二人が「あなたが羨ましかった」と互いに吐露するまで、何度も衝突を繰り返して友情を育んでいくさまをきっちりと書き込んだのは見事としか言い様がありません。
そしてその過程があるからこそ最終話の「シャングリラの海」がより一層映えるのです。
もうこればかりは言葉で説明してもしかたがありません。四の五の言わずに買え!!(笑)
加筆修正組の方はジークの言葉「いつか剣を棄てるために」(この言葉大好きですw)を中心に動きます。
ドラクロワはこの言葉で凶行を止めるし、トールは今までの戦いの中でジークからこの理想を感じ取り、それをレオニスに伝えるために命を投げ出します。
レオニスはその言葉を受け取りドラクロワもジークも成し得なかった「理想」を実現する力を求めて動き出します。
誰もが同じ理想を――「豊かで、平等な世界」――を求めながら決して交わることはない。
ジークとドラクロワとレオニス。3者の「理想」をかけた戦いもいよいよクライマックスなのです。
密かに萌えポイントを稼いだレティーシャの運命やいかに?(オイッ!w)
……つーわけで長編第1巻につながる第2期もいよいよあと一冊。
次の「05」を読んでから改めて「聖戦魔軍篇」を読むのが非常に楽しみです。
(紙様)
(カオスレギオン 05 聖魔飛翔篇)
見事である、としか言い様が無い。
第2部で起きたすべての事件が、そしてすべての人の想いが結集して一つの物語を終わらせ、そして次なる第一歩となった。
誰一人欠けてもこの結末は無かっただろう。何か一つでも欠ければこうはならなかっただろう。
作中の当事者にしてみれば命を賭けて、想いのすべてを賭けて戦乱を生き抜いただけなのだろうが、こうして一読者として、物語として接するとその無駄のなさに驚かされる。
第2部の始まりの地、聖地シャイオンにすべての人の想いを集約させて終わりに導く。
この話の運び方は、何度でも言おう、見事である
秀逸なのは話の運び方だけではない。そのように物語を動かすキャラ一人一人がまた素晴らしいのだ。
「04」で何かを掴んだレオニスはドラクロワにもジークにもできないことを目指すため聖地を死守する。
汚れきり、断罪されて然るべき行為の数々を行ってきた彼だが最後には誰もが成し得なかった境地へ、ドラクロワとジーク、そしてシーラが夢見た「理想」をその手に掴む。
トールはジークと、ドラクロワと、そして何よりアリスハートと触れ合ったことで生き延びる事、そして命に対する姿勢が変わった。
戦いを拒みながらも築いた屍の山の向こうに守りたい人の幸せがあるならば、そして誰かのために生き延びようと戦う姿は「剣を棄てるため」というジークの理想そのものだった。
ノヴィアはレオニスとの血縁を知り驚愕するものの自らの新たな故郷を守るためレオニスとともに聖地を守る。
とても醜く、そして劣悪な「戦場」を見続けることができたのも彼女が幾多の試練を乗り越えてきたからだ。
アリスハートは一心に皆の無事を願い、レティーシャは……よくわからんけど(笑)
そして――様々の想いに支えられてジークとドラクロワが激突する。
「死を迎え、そして新たな命が芽吹く」ドラクロワはそんな円環を断ち切ろうと外典の力を手にした。
しかしその円環こそが、紡がれるからこそ命があるとジークは答えるだろう。
永遠は正しいのか?それとも永遠なだけでは真の豊穣とは程遠いのか?
レオニスが二人の男たちの葛藤から自分で組み上げた答えはジークと同じ、死を迎え、新たな命を芽生えさせる事だった。
「すべては命があるから」
命があるからジークは魔兵を呼び出せるし、そしてなにより命があるからジークとドラクロワ、そしてシーラは出会い、そして想いを一つにする事ができた。
永遠かどうかは問題ではない。そして命がもう戻ってこないことも悲しいが受け入れなければならない。
死と再生を繰り返し、連綿と紡がれていくこと。人も、大地もずっとつながっていくこと。
その先にあるのがきっと真の「豊穣」なのだろう。
理想と愛と友情の交錯するカオスレギオンの物語はここで一度幕を閉じる。
しかし、この本を読み終えたあと残った「何か」が消える前にもう一度シリーズの原点「聖戦魔軍篇」を読んで欲しい。
読んだ人でも読んだことの無い人でも、だ。
この「05」は終わりであり、始まりの物語でもあるのだから……
(紙様)
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