ゲームレビュー

ピクミン2(GC 任天堂 癒し系ホノボノアクション)

 CMソング「愛のうた」が、仕事に疲れた中高年にウケたという変わった経歴を持つピクミン。続編であるピクミン2も「種のうた」を出したが、こちらはそれ程話題にならなかった(覚えやすくていい曲なのだが)。しかし、歌は知ってても内容を知らない人も多いと思われるピクミン(私もそうだった。1は未プレイ)。故に2の魅力を語ろう

●ストーリー
宇宙を股にかけるタテホコ運送のパイロット・オリマーは隕石にぶつかって見知らぬ星へ遭難してしまう。飛び散った宇宙船のカケラを集めるため不思議な原住生物・ピクミンの力を借りて脱出する、のが1のストーリー。
 2では、無事帰還するも、タテホコ運送はオリマーの後輩ルーイの失敗により借金まみれで倒産寸前。途方に暮れるオリマー、だが、彼が持ち帰ったモノが値打ちモノだと分かり、今度は借金を返すため宝探しにあのピクミンのいる星へまた帰ることに。

 まあ、アクションなんでそれ以上でもそれ以下でもないですが、意外と(といってはナンですが)キャラが立ってます。いや、喋ったりとかは全然しないんですが、機械のクセに妙に人間臭い話し方をするドルフィン初号機(ロケット)や、お宝に対する感想の「オリマーメモ」(たまに、奥さんや子供のことを書いてるのが微笑ましい)、お宝に対するネーミング(只の乾電池に「あいとゆうきリアクター」とか)などに中々のセンスある演出です(ゼルダでもそうですが、ダサいと紙一重のクスリとさせる文章のセンスは任天堂が1番かと)
 お陰でキャラの人となり(人じゃないのもいるけど)を想像する余地が多いです。あ〜、一番キャラ性の高いピクミンについては別項で記すことにします

●ゲームの流れ
 早い話、目的は2つ。
1)お宝を集めること
2)ピクミンの数を増やすこと
 2は絶対条件ではないですが、増やした方がお宝も集めやすくなるので。後、このゲームは時間の流れがあります。夜は原生生物が活発になるとかで昼間のみ。ただ、借金返済に期限は無いんで(1ではあったらしい)、特に気にすることなく自分のペースでプレイできるのは嬉しいかと。

 まあ、ゲームの紹介はこれくらいにしてこのゲームやてて気付いたことをつらつらと・・・
●ピクミンは子供の遊びを模したゲーム
 ある程度の年を重ねたプレイヤー(早い話私のようなオッサンプレイヤー)はピクミンやってると言い知れぬ郷愁に似た思いを感じるのではあるまいか?それはピクミンが子供の頃の思い出を刺激するからであろう。
 思い出してほしい。子供の頃は広大な裏山や空き地(大人になるとそれがいかに小さかったことに驚く)を探検したことはないだろうか?そして、そこで掘り出したガラクタを宝の様に取っておいたことは?また、虫の出現に驚き、ヘビなど逢った日にはモンスターに逢ったかのごとく怖がったことは?そして、夕刻の鐘の音を聞き1日の終わりを感じたことは?
 そう、ピクミンそのものなのである。ピクミンのステージが裏山や庭といったごく普通の風景を小さい者の視点から見るという構図になってるのは、子供の視点を再現したものだからではないか?そう考えていくと、連れて行けるピクミンの上限が100人というのも、幼い頃に誰しも口ずさんだことあるであろう唱歌♪友達100人できるかな〜、から取ったのでは・・・とこれは穿ちすぎか。

 余談だが、「俺は都会育ちだからそんな経験無い」という方にも、上記の感じ方は理解は出来ると思う。それは、小さい頃の漫画や本でそういうことを追体験してるからだ。今でも児童の読むものはこういう要素があると思いたいのだが・・・

●任天堂製のアクションゲームとしてのピクミン
 私は任天堂のゲーム、特にアクションゲームが好きだ。理由を考えると、操作して楽しいというのがある。
 つまり、キーレスポンスがいいわけだ。これは、最低限にして一番大切なことでもある。昔スーパーマリオを作った時一番気にかけたのがジャンプのレスポンスらしいから。

 また、操作が簡単なことも挙げられる。このピクミンでも、主に使うのはAのピクミン投げ、Bのピクミン集合、そしてCスティックのピクミン団体移動の3つだ。無論、他にもボタンの用途はあるが、使わなくてもクリアには支障は無い(カメラ切り替えは必要かも)
 使うボタンが少ないからといっても、それが奥が浅いことを示すわけではない。操作(つまり内的要素)が簡単なら、敵や障害物(外面)のバリエーションを増やせばよいのだから。そうなると、やることは少ないので容易にその攻略法や解決法も見つかることになる。こちらはプレイヤーの負担は少ない
 逆にに、操作系を多く、敵や障害を少なくして、その複雑な操作の中からプレイヤーに選ばせて問題を解決させるやり方もある。こちらはプレイヤーに負担がかかる。好みはあるだろうが、私は前者が好きだ。

 ちょっと話は飛躍するが、私はゲームの本質はアクションゲームだと思っている。そしてアクションゲームとは「敵を倒し、障害物を突破しつつ、自キャラ(又は自分の腕)を強くしながら、ゴールを目指す」という行為の過程を楽しむものだと思う。
結果でなく過程。アスレチックを思っていただけると近いかも
 んで、何故、アクションがゲームの本質かというと、他のゲーム要素が多く入ってるからだ。つまり、「敵を倒す」を主眼に置くとシューティング、「障害物(謎)を乗り越えること」だとアドベンチャー、「自キャラ(又は自分の腕)を強く」ならロールプレイング、「ゴールを目指す」ではレーシングになる。図解すると分かりやすいので下に記す

                    シューティング
                                                
                      1  敵を倒す    障害物(謎)         
         ゴールを目指す    1           を乗り越える         
レ−シング ←――――――― アクションゲーム ――――――――→アドベンチャー                           敵を倒し、障害物を突破しつつ、                                          自キャラ(又は自分の腕)を強くしながら、         
                  ゴールを目指す     
                       |   
                       | 自分が強くなる 
                       ↓      
                   ロールプレイング        ちょっと線がズレた見づらくなって申し訳ない

 任天堂のアクションは、各要素のバランスが良くとれている。それでいて、過程は楽しくキーレスポンスもいい。楽しいわけである。ついでにいえば、任天堂ゲームに高水準なのが多いのは、ゲームの根幹たるアクションの要諦を理解してるからではないか?
つまり、他のゲームを作るときは、基本を押さえつつ各要素を特化(アドベンチャーなら謎解きとか)させればいいのだから・・・とクチで言うほど簡単ではあるまいが。
 んで、ゼルダは各要素(レースのはないかも)を最高水準まで高めたものなのかなぁと思ったり。

 読み返したら、信者バリバリの意見なんで話半分で読んでください




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